「知る」ということ。

 TBS特番「ヒロシマ」を見た。
 特に、原爆を開発し、あのヒロシマのキノコ雲を実際に映像に収めたアグニュー博士と被爆者との対談が、良くも悪くも印象に残った。被爆者の真の心の叫びは博士には伝わらなかったのだろうか。
 多くの日本人は博士の「謝罪はしない」との言葉に反発を覚えるだろう。私も実際腹が立った。しかし、筑紫哲也も言っていたように、アメリカ人の多くはそういう感覚(原爆が戦争を終わらせた)を持っていることは間違いないだろう。今、歴史認識の違いということがクローズアップされているが、何も日中韓だけの問題ではなく、いろんな事柄に対して存在していることを、まずは冷静に認識しなければならないだろう。
 それに、どっちが悪いとか、正当性があるとかないとかの議論になってしまうと、本質的なことが分からなくなってしまう。どっちに正当性があろうが、どっちに責任があろうが、戦争という行為によって現に人間が傷つき、悲しみ、死んでいるのだ。「リメンバーパールハーバー」「ノーモアヒロシマ」どっちも正しいのだ。「もう二度とこんな体験はしたくない」という純粋な願いから起きているはずだからだ。
 博士の言葉で1つ同意できないものがあった。戦時には「罪なき人」はいない、という言葉。それは博士が指導者階級にあって、一般人の感覚を理解していないから発せられる言葉だろって思ってしまう。どんなときでも、日本でもアメリカでも、あるいはイスラム社会でも、一生懸命人々は生きている。でも、国の指導者の判断1つで戦争に巻き込まれ、最悪命を奪われてしまう。それなのに、一般人にも罪があるなんて。。。
 だからこそ、上に立つ人の思想信条はしっかりしたものでなくてはならないし、逆に誤った思想を持ち、それが国中に蔓延してしまうと国全体が誤った方向に進んでしまう。一番の諸悪の根源は「誤った思想」にあるとも言って良いだろうと思う(なんか前にも書いたな)。
 とにかく、まずはヒロシマで、ナガサキで、何があったのかをしっかりと知ることが大事なんだろう。認識しなければ、解決の知恵も涌いてこない。